西暦600年から800年頃、南西部の古代先住民族達は狩猟による遊牧生活から農耕を中心とした定住生活を始めるようになりました。
トウモロコシ、スクワッシュ、豆類などを作り家畜も飼っていたと言われています。
彼らはアナサジ (Anasazi) と呼ばれ「籠 (かご)」を編む高度な技術を持っていたため、その文化をバスケット・メーカー文化とも呼んでいるようです。
メサヴェルデの断崖住居 |
アナサジ達の一部がメサヴェルデ (Mesa Verde) に定住し始めたのは西暦600年頃のようです。ちなみにメサヴェルデとはスペイン語で「緑の台地」という意味。
彼らは当初ピットハウス (Pit House) と呼ばれる地面に掘った穴に柱と屋根を付けた住居を作り、台地の上に生活していました。
西暦750年頃になると木と泥で本格的な家を作り始め、西暦1,000年頃には石を積み上げ多層式の石造住居を建てることができる建築技術を身に付けていました。
緑の台地 メサヴェルデ |
西暦1,200年頃、人口の増加に伴う農耕地の減少対策と外敵襲来の防御のため、台地の上から断崖の洞窟に住居を築き移住、その後約100年の間「断崖住居」、つまりクリフハウス (Cliff House) に暮らすことになったのです。
その頃の日本はというと平安時代 (794〜1192年) から鎌倉時代 (1192〜1333年) にかけて。
平清盛の全盛期にはアナサジ達はまだ台地の上で生活していた訳ですね。
平氏が滅びる壇の浦の戦い (1185年) のあたりからクリフハウスへの移動が開始され、彼らがそこに暮らしていた100年間程は鎌倉時代と重なります。
西暦1,300年頃、なぜかアナサジ達はメサヴェルデのクリフハウスを捨て、忽然と姿を消してしまいました。ひとつの文明社会の消滅ですが理由はいまだに謎とされています。
有力な学説では、大干ばつが何年も続き水と食料が枯竭したことと、樹木の過剰伐採や野生動物の乱獲がエコシステムを破壊してしまったことが原因ではないかとされています。
アナサジ族は南方の水のある地方へと移住、プエブロ族の祖先となったようです。
1,333年に鎌倉幕府が滅びたのとほぼ同じ頃になりますね。
クリフハウスとキヴァ |
● 砂岩で直方体のブロックを作り、それを積み上げ泥のしっくいで目張りをしています。
壁面に黒くススで汚れた部分が見られるのは火を使っていた証拠です。
また地下水を引き込む水利施設も作られています。
● クリフハウスの中にはいくつかのキヴァ (Kiva) と呼ばれる円形の儀式施設が地下に設けられ、祈願や祈祷が行われていました。
● 一部屋に2〜3人が生活しており、必要に応じて増築していきました。
入り口が小さいのは、彼らの身長が150〜160cm位であったことを示しています。
● 食料は台地の上で生産、家畜として犬・ウサギ・七面鳥などを飼っていました。
必要に応じて狩りにも出ていたようです。
アナサジ達が去ったメサヴェルデはそれから約600年間・・・歴史から忘れ去られました。
1888年、牧場主のリチャード・ウエザリル (Richard Wetherill) が廃墟となったクリフハウスを発見、その後1906年に国立公園に指定されます。1978年にはアメリカ初の世界文化遺産に認定されました。
クリフハウスを見に行くには通常チケットを購入し、レインジャー引率のツアーに参加しなければなりませんが、スプルース・ツリー・ハウス (Spruce Tree House) は夏期の間は自由に見学が可能です。ここでは114の住居群と8つのキヴァを見て回ることができます。
アーチーズ国立公園 (Arches National Park) やモニュメント・バレー (Monument Valley) からそれぞれ約3時間の距離ですので、グランドサークル・ツアーのついでにちょっと足を延ばしてみましょう。
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