4/24/2015

モニュメントバレー (Monument Valley)

ナバホ・ネイション (Navajo Nation)


アメリカの大自然を象徴するアイコンとして知られるモニュメントバレーは、正式にはモニュメントバレー・ナバホ・トライバル・パーク (Monument Valley Navajo Tribal Park) 呼ばれ、広大なナバホ族居留地 (Navajo Tribal Reservation) の中にある面積約371㎢の自然公園です。


右からレフトミトン・ライトミトン・メリックビュート

まずビジターセンターから見える代表的な3つのビュート(Butte・残丘) は、レフトミトン (Left Mitten・左の手袋)/ライトミトン (Right Mitten・右の手袋) /メリックビュート (Merrick Butte) と名付けられ、それぞれ東京タワーとほぼ同じ300mほどの高さがあり、ビュート間の距離は約1.6kmもあります。レフトミトンはウエストミトン (West Mitten)、ライトミトンはイーストミトン (East Mitten) とも呼ばれています。
この公園の中で唯一、一般の人々が自由に楽しめる公認トレイル「ワイルドキャット・ループ・トレイル (Wildcat Loop Trail)」を歩くと、この3つのビュートを間近に見る事ができるので時間があればお勧めです。ビジターセンターの北側にあるキャンプ場の奥にトレイルヘッドがあり、2時間もあれば一回りというコース・・・モニュメントバレーの魅力を足で体験できます。
園内は一般車両の入園が許されていますが、ナバホのガイドの同行が義務付けられている箇所も多いので要注意、また未舗装の周遊路はかなりの悪路で常に砂埃が舞い、いったん雨が降るとドロドロにぬかるみます。最寄りのガイド付きツアーに参加し、ミトンズ (Mittens)/ジョン・フォード・ポイント (John Ford Point) /トーテンポール (Totem Pole) /アーティスト・ポイント (Artist Point) /ノースウィンドウ (North Window) 等の主な展望台を四輪駆動車で効率よく回ることをお勧めします。

ナバホ族居留地は、アリゾナ州北東部/ユタ州南部/ニューメキシコ州北西部にまたがる全米最大の7万1,000㎢の面積 (北海道とほぼ同じ) を誇り、人口も30万人と全米最多です。
*チェロキー族が28万5,000人、スー族が13万人で2位と3位の人口


ジョン・ウェインのブーツ
それぞれの居留地には自治権が認められていますが、これだけ大きな規模の居留地になるとネイション (Nation) と呼ばれ部族政府機関が組織されています。従ってナバホ族居留地は「ナバホ・ネイション」(Navajo Nation)と呼ばれ、独自の法律・警察機構・裁判所などを有しており、モニュメントバレーをはじめアンテロープ・キャニオン (Antelope Canyon) フォーコーナーズ (Four Corners) 等のトライバル・パークは、ナバホ・ネイション内の部族公園局が管理運営を行っています。

西部開拓時代、開拓者との熾烈な争いの果てに、先住民ネイティブ・アメリカン達 (Native American) は米国陸軍騎兵隊 (U.S. Cavalry) の圧倒的な戦闘力に屈していきました。1830年、アンドリュー・ジャクソン大統領は「インディアン移住法 (Indian Removal Act)」を制定、アメリカ連邦政府は全米各地に居留地を定め (そのほとんどがミシシッピー川以西ですが) 、これら先住民達を強制的に移住させていったわけですが、住み慣れた土地に変わって彼らが手にしたのはまさしく不毛の地でした。
連邦政府の大義名分は「先住民達を西部開拓者の果てしない侵略から守るため、居留地を国が定め自治権を与え保護する」というもの。しかしネイティブ・アメリカン達からすれば、先祖代々受け継いで来た豊かな土地と自由を奪われることに他ならなかった訳です。
現在国内には合計310の居留地があり総面積は22万5,000㎢ (本州とほぼ同じ) になりますが、連邦政府公認の部族は565、未公認を含めると700部族以上、つまり全ての部族に居留地がある訳ではありません。大半の少数部族には居留地は与えられず、自分達の権利を主張する術は無いのです。

ナバホ族は西暦1300〜1400年代、古代先住民アナサジが消滅した後に北東部からやって来てこの地に住み着いたと言われています。すなわちナバホ・ネイションはもともと彼らの土地でした。
リンカーン大統領の命により、1864年にいったん強制的にニューメキシコ州西部へ移住させられますが、1868年にこの地に戻ることができました。その後、少しづつ居留地を拡大し1934年に現在の面積になりました。
*リンカーン大統領は「奴隷解放の父」だが、先住民族徹底排除主義者で名高く、数々の部族大虐殺を指揮している
*このナバホ族の480kmにもおよぶ強制移住は「Long walk of the Navajo」として知られている

ナバホ・ネイションの地図を見ると、所々にホピ族居留地や国有地が点在しています。またキャニオン・ディ・シェイ国立モニュメント (Canyon de Chelly N. M.) や世界文化遺産チャコ・カルチャー国立歴史公園 (Chaco Culture N.H.P.) のようにナバホ・ネイションの中にありながら連邦政府の国立公園局が管理している場所もあります。


アーティスト・ポイントから
貧しい生活を強いられた多くの先住民ネイティブ・アメリカン達の中で、ナバホ族はある意味では幸運でした。彼らの居留地の下にはたくさんの天然鉱物が眠っていたのです。
1920年代初頭、ナバホ・ネイション内で次々と石炭の埋蔵が確認され、それを機にトライバル政府を正式に樹立、1923年に首都をウィンドウロック (Window Rock) に置きました。大恐慌時代には不況の波が例外なく押し寄せますが、1940年代になると今度はウラニウムの鉱脈が見つかり採掘が始まりました。鉱山からの土地賃貸料収入と雇用でナバホ・ネイションの財政は次第に潤っていきますが、自然環境破壊や労働者の健康被害でその後苦しむことになってしまいます。
一方、忘れてはいけないのがモニュメントバレーを舞台とした映画やコマーシャルの数々。ジョン・フォード監督 (John Ford) が1939年に世に送り出した名作「駅馬車」を皮切りに多くの映画やコマーシャル撮影のロケ地として選ばれ、マルボロやシボレーのCMや広告は大ヒットとなりました。
そしてこのアメリカ西部大自然の絶景は一大観光ブームを呼び込み、観光産業による収益は年々増加の一途をたどっています。
1870年代、スペインからメキシコ人へともたらされた銀細工の手法はナバホの人々に受け継がれインディアン・ジュエリーが生まれました。また羊毛から作られる織物「ナバホ織り」や砂絵などのこれら工芸品には高い芸術性が認められ、高値で売買されてます。


ノースウィンドウ

第一次世界大戦からアメリカ軍はチェロキー族やコマンチ族の言語を暗号として利用し始めました。しかし第二次世界大戦のヨーロッパ戦線では、ヒトラーが莫大な予算をかけてネイティブ・アメリカン言語の暗号の解読に挑んでおり、それを危惧したアメリカ軍は、ノルマンディー上陸以降は対日本軍の太平洋戦線でのみナバホ族の言語を特殊な暗号にして使用することになります。1942年、ナバホ族の青年29名により「ナバホ・コード・トーカーズ (Navajo Code Talkers)」という暗号部隊が結成されました。文字を持たず発音が複雑なナバホ語と英単語を組み合わせた暗号は、訓練されたコード・トーカーが特殊な暗号表を使わないと読めず、最後まで日本軍に解読されることはありませんでした。終戦までの間に約400名のコード・トーカーが対日諜報活動で活躍、アメリカ軍を勝利に導きました。
かたや日本軍の暗号は、ご存知のようにいとも簡単に解読されていました。何と開戦当初の軍部や外務省の電話回線では「早口の薩摩弁」を暗号として使ったそうですが、傍受した日系米兵にすぐにバレてしまったという記録が残っています。
紀元前3万年頃、陸続きだったベーリング海峡を渡りアメリカ大陸各地に定住していった先住民の祖先達は、我々日本人と同じモンゴロイドだと言われています。彼らナバホ族の言葉がこの戦いの勝敗を分ける一翼を担ったと考えると皮肉なものです。


4/06/2015

ブライスキャニオン国立公園 (Bryce Canyon National Park)

大自然の壮大な営みの中で、他に類を見ないこの不思議な景観はどのようにして作り上げられたのでしょうか。
このあたり一帯は太古の地殻の変動と氷河期の周期により、内海の海底に沈んだり、陸地に隆起したり、淡水湖の湖底になったりと様々に変化しながら土砂が堆積し地層が形成されていきました。ここブライスキャニオン国立公園 (Bryce Canyon National Park) に見られる地層は、ザイオン国立公園 (Zion National Park) の最上部のカーメル石灰層よりも新しいクラロン層 (Claron Formation)という鉄分を多く含む石灰と砂の石化層がほとんどです。その鉄分が酸化することによりピンク色に見える訳です。
クラロン層は約4,000〜5,000万年前に巨大な湖の底に堆積したものと考えられています。上部の地層が浸食され、むき出しになったクラロン層に雨や雪解け水などの水分がしみ込んでいきますが、水がはけた後のこの層は圧力が一気に抜けてスカスカで非常にもろくなっています。もろいゆえに浸食に弱く、実際に現在の奇妙な地形になるまでに200万年もかかっていないそうです。


ブライスキャニオン国立公園
さて約2,000〜1,000万年前にかけて隆起したコロラド高原(Colorado Plateau) ですが、アリゾナ州北部からユタ州南部にかけては、北に向って下がるように傾斜しています。この傾斜によって巨大な階段状の地形が形成されており、これをグランド・ステアケース (Grand Staircase)と呼んでいます。グランドキャニオンがそのいちばん南側ににあり、グランドキャニオンの最上部の地層がザイオンの最深部の地層、ザイオンの最上部の地層がブライスキャニオンの一番下の地層となっており、ブライスキャニオンがグランド・ステアケースの一番上の最も新しい地層部分に位置しているということになるのです。
ちなみに、コロラド高原はアリゾナ・ユタ・コロラド・ニューメキシコの四州にまたがる面積337,000㎢ほどの大平原で、日本よりやや小さいといったサイズです。

ちょうどブライスキャニオンの上部はポーンソーガント台地 (Paunsaugunt Plateau) と呼ばれており、その東側にあるピンククリフス (Pink Cliffs)という断層面の一部にブライスキャニオン国立公園内の尖塔群が見られ、これがグランド・ステアケースの上から一段目。順に下って二段目の断層はグレークリフス (Gray Cliffs) 、三段目がホワイトクリフス (White Cliffs) でザイオン国立公園ではこのふたつの断層面が見られます。さらに下って四段目がバーミリオンクリフス (Vermillion Cliffs) であのバーミリオンクリフス国立モニュメントがあり、その下が五段目のチョコレートクリフス (Chocolate Cliffs) でこれが階段の一番下となります。そのまま南下するとカイバブ台地 (Kaibab Plateau) がやや盛り上がりグランドキャニオンへと続きます。(下図参照)


グランド・ステアケース断面 by National Park Service
ブライスキャニオン国立公園の尖塔群・フードゥー (Hoodoo) は、ピンククリフスに露出した非常にもろいクラロン層の断面が、雨や風雪などの浸食を受けて作り上げられました。
雨水や雪解け水が岩の割れ目に入り込み、凍結することで120%も膨張します。これにより弱い部分の岩が剥がれ落ちる現象がこの奇岩を生む一番の原因とされています。
フードゥーには実に様々な形状が見られ、中には60mほどの高さに達するものもあります。


フードゥー
かつてここに生活していた先住民パイユーテ族 (Paiute) の古い言い伝えによると、大昔この地には「レジェンド・ピープル」(Legend People・伝説の民)と言われる動物から人間に自由に姿を変えることができる不思議な生き物がいたそうです。普段は人間の姿をしていたのですが実は獣や鳥の化身でした。しかしこのレジェンド・ピープルが人間を騙し悪事を働くため、ついに神々の中でも特に狡猾なコヨーテ神シナワバ (Sinawaba〜God Dogとも呼ばれる) でさえも見るに見かねて、変身する瞬間に彼らを石に変えてしまったというのです。時間の変化によってフードゥーの色、影の位置や濃淡が変わっていくと確かにそんな気がしてきます。
*西側のリムが夕陽をさえぎるので、夕景を楽しむには日没の1時間以上前にスタンバイすること

面積は145㎢と小ぶりですが、全米の国立公園の中で最も暗い夜空を望めるブライスキャニオンは、1928年の国立公園認定以前から天然のプラネタリュームと言われてきました。
もう一つ、パイユーテ族の「星にまつわる」伝説をご紹介しましょう。日本では昴 (すばる)と呼ばれているプレアデス星団 (Pleiades) の7つの星は、父親の言い付けに背いたパイユーテの7人姉妹が天空から降りられなくなった・・・というもの。ギリシャ神話のアトラスの7人姉妹のお話しとよく似ています。ちなみに、このプレアデス星団は牡牛座の中にありますのですぐに見つかります。月あかりの無い夜は、ぜひ渓谷のリムから満天の星空をお楽しみください。